弥生時代終末期から古墳時代に至る、日本のクニづくり物語

笠井新也⑤卑弥呼の冢墓と箸墓
昼は人が作り、夜は神が作る笠井の最後の論文は昭和17年(1942)に考古学雑誌第32巻第7号で発表された。大正13年(1924)以来、実に18年ぶりのこととなる。「或事情の故に」と笠井は詳しく説明していないが、笠井の第四論文「箸墓」は、いわ...

笠井新也④卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命
大正13年(1924)に笠井が発表した「卑弥呼即ち倭迹迹日百襲姫命」。それまで卑弥呼については、古来九州の女酋とする説と大和朝廷に関係ある女性とする説の2つの主張があったが(前年に考古学雑誌第13巻で大和説を主張)「邪馬台国が大和であったこ...

笠井新也③邪馬臺国は大和である
笠井新也が、大正11年に発表した「邪馬臺国は大和である」論をもう少し詳しくみてみることにしよう。横浜市立大学の矢吹晋教授が、平成19年発行の「國學院雑誌第108巻第9号」に掲載した「笠井論文の解説」をもとに補足資料を交えながら展開を試みる。...

笠井新也②中学教師が独創的な新学説
「脇町高校百年史」には、笠井の功績が詳しく紹介されている。笠井新也は1884年(明治17年)徳島県の旧美馬郡脇町で生まれた。1902年(明治35年)に脇町中校を卒業して、同年9月に国学院大學高等師範部(国語・漢文・歴史学)に入学して、同大学...

笠井新也①百年前「卑弥呼は箸墓に眠る」
「卑弥呼は、第7代孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)=日本書紀)で、纒向遺跡の箸墓古墳に眠っている」。今から100年も前に、この説を日本で初めて考古学雑誌に発表した人がいる。その人の名は笠井新也(かさいしんや...

纒向遺跡、感動の現地説明会
私の邪馬台国物語のはじまりは2009年秋のこと。奈良県桜井市の纒向遺跡で1800年前の大型建物跡が見つかったのだ。11月14日に現地説明会があるというので出かけた。JR奈良駅から万葉まほろば線に乗り込む。単線で2輛編成。30分に1本しか走っ...