2023-07

日本の歴史

笠井新也⑤卑弥呼の冢墓と箸墓

昼は人が作り、夜は神が作る笠井の最後の論文は昭和17年(1942)に考古学雑誌第32巻第7号で発表された。大正13年(1924)以来、実に18年ぶりのこととなる。「或事情の故に」と笠井は詳しく説明していないが、笠井の第四論文「箸墓」は、いわ...
日本の歴史

笠井新也④卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命

大正13年(1924)に笠井が発表した「卑弥呼即ち倭迹迹日百襲姫命」。それまで卑弥呼については、古来九州の女酋とする説と大和朝廷に関係ある女性とする説の2つの主張があったが(前年に考古学雑誌第13巻で大和説を主張)「邪馬台国が大和であったこ...
日本の歴史

笠井新也③邪馬臺国は大和である

笠井新也が、大正11年に発表した「邪馬臺国は大和である」論をもう少し詳しくみてみることにしよう。横浜市立大学の矢吹晋教授が、平成19年発行の「國學院雑誌第108巻第9号」に掲載した「笠井論文の解説」をもとに補足資料を交えながら展開を試みる。...
日本の歴史

笠井新也②中学教師が独創的な新学説

「脇町高校百年史」には、笠井の功績が詳しく紹介されている。笠井新也は1884年(明治17年)徳島県の旧美馬郡脇町で生まれた。1902年(明治35年)に脇町中校を卒業して、同年9月に国学院大學高等師範部(国語・漢文・歴史学)に入学して、同大学...